青森モーニングロータリークラブ Weekly
www.aomori-mrc.org
超我の奉仕 私たちはロータリアン
たかがロータリー、
されどロータリー、やっぱりロータリー!
カール。ヴィルヘルム・ステンハマー
国際ロータリー会長
青森モーニングRC
会長 阿保 康雄
794回 例会  2006.1.27
点鍾 阿保 康雄 会長
ソング 手に手つないで
ゲスト RI第2830地区パストガバナー 大柳繁造さん
ヴィジター(敬称略) なし
本日の出席率 18名中9名 50.00%
1月13日の確定出席率 18名中14名 77.78%  
メーキャップ(敬称略) なし
誕生日 なし
ニコニコBOX 9名 4,500円
大柳パストガバナー、早朝卓話ありがとうございます。(全員)
会長の時間 本日は幹事の葛西さんが出張、副幹事の古賀さんが風邪を引いたと本日事務局に連絡が入り、芳賀さん・外崎さんも欠席ということで私は一人三役どころか、四役になってしまいました。宜しくお願いいたします。
今年もまた大雪で、JRが運休など色々な記事が新聞に出ています。
雪かきはウォーキングと同じ運動量といわれていますが、その雪かきもあと一ヶ月ちょっとの辛抱ですから頑張って下さい。

幹事報告 ・ 2月よりロータリーレートが1ドル=114円に変更になります。(現在は1ドル=118円)
・ 「ロータリーの友」誌インターネット速報を回覧します。
 
卓話 第二世紀のロータリーについての私信 大柳繁造パストガバナー

ロータリーも創立100周年を迎え、これから第二世紀に入るわけだが、ここで我々日本人としてこれからどのような進路をとるべきかについて私信を述べたいと思います。

よくロータリーでは、宗教や政治の話は敬遠されるが、そもそもロータリーの発祥はプロテスタント信者のポールハリスらの4人からスタートして、主としてキリスト教(プロテスタント)の影響を色濃く受けた地域で発展し続けて来ました。今では、ソ連経済の破綻から資本主義経済に移行しているロシヤにもクラブが出来つつあるが、中国ではまだ時間がかかるとの見方がある。そこで、イスラム教圏ではどうか、ということになると、これはまったく見込みがないようである。
9・11以来、イラン・イラク戦争は、資源確保のためとも言われているが、はっきり云って「宗教戦争」である。ブッシュ大統領ばかりでなく「十字軍」をイメージした発言があるくらいである。イスラム教もキリスト教も、根っこはユダヤ教から生まれているが、どこがどうでお互いが争っているのであろうか。このあたりをロータリーの将来も巻き込んで考えてみたいと思います。ということは、ロータリーの全世界への啓蒙発展は、残されたイスラム圏なくしてできないからです。今やロータリーも、それなりの矛盾を抱えて、壁に突き当たっているといってよいでしょう。

ここで両宗教とも一神教でありながら、大きく相違するのは規範(ノルム)の存在があります。キリスト教は「無規範宗教」です。イスラム教には、さまざまな規範のもとに律法に従うことになっていますが、キリスト教ではこれでは人間は救われるわけがなくて、大切なのは、行動なのでなく心のなかにある信仰であるとしていることです。
それでは何故ユダヤ教から出たキリスト教が規範・律法を捨てたのでしょうか。その理論的根拠になったのはパウロの時代に人間の「原罪」として唱えられたことがあります。「原罪」のある人間によいことができるわけがない。いくら律法を真面目に守ろうとしても、人間は必ず欲望に負け、悪をなしてしまう、というものであります。あの有名な「アダムとイブの物語」です。では、なぜ信じさえすれば、神は罪深き人間を救ってくれるのか。これはイエス・キリストが人間の背負っている原罪を贖ってくださるからである。これで人間は神の恩恵にあずかり救われることになるから、人間は神の万能を讃え、神を信じなくてはならないのだ、となります。こうなると、キリストの昇天によって人間の原罪が解除されたとすれば、もはや信仰すら意味がないのではないか。原罪がなく、黙っていても救われるなら、どうして信仰しなければならないのでしょうか。奇妙なことになってしまいます。非常に奇態な宗教ではないでしょうか。これは明治時代のクリスチャン内村鑑三も云っています。私は、小学生の頃に担任の先生から「マホメット教は“左手にコーラン、右手に剣」と言って、力によって急激な布教をしたと教わりましたが、これが今となって真っ赤な嘘であったことが分かり、イスラム教を見直すことになりました。そして、イスラム教ぐらい宗教らしい?宗教はない「宗教のお手本」と感じました。
大抵の宗教にはその根底となる規範があって当然だと思いますが、心の中で信仰を持ったからには、それに対応して行動もかわらなくてならないと思います。
マックス・ヴェーバーは、「宗教とは何か。それはエトスである」と。日本語に訳せば「行動のパターン」(意識的なもの無意識的なものも含めて)。宗教を信じるということは、その宗教独特のエトスを持つ事に他ならないというのです。ヨーロッパ中世のキリスト教の堕落から、宗教改革によって聖書の「原点回帰」が行われ、合理性を取り戻すことになったのですが、これまでの通説ではヨーロッパに近代資本主義が生まれたのは「キリスト教離れ」のおかげであると説明されていました。これは宗教の力が弱まり、教会の支配が緩んだからといわれていましたが、それは全くの逆でこの合理化が近代資本主義を生み出す触媒になったとヴェーバーは証明しているのです。「天職」という世俗の仕事こそ神から与えられた使命であるという思想が強調され、「労働こそが救済である」という思想が確立されたのです。これが「資本主義の精神」の母胎となったのだというのです。資本主義社会では、今に見られるように利益至上主義と職業倫理との葛藤が大きな問題を提起されてきます。アメリカで生まれたロータリーですが、その時代の背景を考えると、この問題が大きく意識の中にあったわけです。イスラム教での職業倫理上の契約というのは、神との契約であって対相手との契約ではないという「タテ社会」なのです。何か予期しないことで契約不履行となってもこれは神の思し召しであり、宿命論的予定説からそうなるのだということになります。
こういったところからは、近代的なデモクラシーの世界が生まれないでしょう。キリスト教世界の「隣人愛」とはまた次元の異なる「神の栄光は現世に及び、人間は神に定めし「天命」から逃れることは出来ない。そして、救済はその人物が生前に行った善の量によって判定される」となっていて、イスラムの人たちは常にアッラーの神に監視されているので、「タテ」の契約が「ヨコ」の契約に成る筈がない訳です。中東の子供たちにお金を恵んでも、決して「有難う」はいわない。「有難う」をいうのはアッラーの神に云うのである。商取引でも同様で、理屈から云うと売ったほうは商売できたし、買ったほうは欲しいものが手に入ったということになり、そうした喜びを与えてくれたのは神であるから、アッラーへ感謝して「有難う」ということになります。これで儲けても相手には感謝しないのです。このようなイスラムの世界では、到底ロータリーの精神が入り込むどころか、全く次元の異なる世界であるといってよいでしょう。

従って、第二世紀に入ったロータリーはイスラム社会と対峙するか、互いの文明の相違をよく認識するか、ということになるでしょう。2025年以降になると、イスラム教徒がキリスト教徒を上回ることが、予想されていますが、この衝突をどのようにして避けてゆくカが問われることになるでしょう。我々日本人は、幸いにもどちらにも属さず、ユダヤ教よりも歴史がある神でなく仏への信奉を続けて来ました。このことは、この第二世紀において、どのような形で存在感を見せるかが問われるところです。イラン・イラク戦争で見られるような武力による征服は、難しいことはわかってきました。文明の衝突を避けるには、お互いに文明の多様性・普遍性をを追求し行く事ではないでしょうか。

青森モーニングロータリークラブ  創立1989年6月1日
会長     阿保 康雄
副会長    中山 瑶和子
幹事     葛西 義明
副幹事    古賀 雄二
会報担当  白川 幸夫      例会場  青森国際ホテル  例会日  毎週金曜日 午前8時
                     事務局  〒030−0801 青森市新町1−6−18
                                     017−775−1821  FAX 777−9691
RI会長 カール。ヴィルヘルム。ステンハマー     第2830地区ガバナー 笹森 剛