青森モーニングロータリークラブ 2011~2012年度 会報

創立1989年6月1日
会長     米谷 恵司
副会長    鈴木 唯司          例会場  青森国際ホテル  例会日  毎週金曜日 午前8時
幹事     工藤 一男          事務局  
〒030-0801 青森市新町1-6-18
副幹事    高橋 修一                         017-775-1821  FAX 777-9691
会報担当   阿保 康雄                        webmaster@aomori-mrc.org 
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平成23年7月22日(金) 第1050回例会

点鐘   米谷会長
ソング  手に手つないて

出席と誕生祝い

ゲスト  青森県立美術館 館長 鷹山ひばりさん
ヴィジター なし

本日の出席率 23名中20名 86.96%
7月8日分確定出席率 23名中21名 91.30%

メーキャップ(敬称略) 7月20日 白川幸夫、葛西義明(青森北東)

誕生祝  なし


ニコニコBOX

ニコニコBOX 20名 10,500円

・鷹山ひばり様、早朝卓話ありがとうございます。(全員)
・鷹山館長、印象派展の開催おめでとうございます。本日はお忙しいところありがとうございました。(石倉)
・優勝は細井さん、準優勝は平川でした。前回ホールインワンしダントツ優勝の芳賀さんは大叩きの105でした。(ゴルフ愛好会)

会長の時間

 本日の卓話は私がお願いしたのですが、その経緯についてお話しします。
 青森法人会青年部会(私が会長をしていますが)と女性部会の合同総会が開かれ、その際鷹山さんに卓話をお願いしました。そのお話をお聞きした後ロータリークラブでの卓話もお願いしご承諾頂いたのです。
 芸術と言えば合気道も昔は武術の一つだったのですが、“道”となったのは人間形性の道であるとの考え方からで挨拶・礼を重んじます。しかし術を思わせる形が有ります。礼をする時左手をまず付き、右手の倍は付いています。正座から立つ時は指を立てて起座の状態で右足から立ちます。いずれも刀が抜きやすいようにです。古賀先生も上達しました。私はこれからも合気道を続けていきたいと思います。
  今週の交通標語は「正しい姿勢で運転を」です。正しい姿勢とはしっかり前が見え、メーターが見えるような位置で、ハンドルがしっかり動かせる腕 の伸ばし具合にします。シートベルトも鎖骨の上に来るようにします。

幹事報告

・ 地区より、小山内ガバナーラジオ出演のお知らせ。(詳細回覧)

その他

クラブ管理運営委員会 鈴木委員長
 ・8月の例会担当者として、受付清野さん、出席浅利さん、例会記録赤坂さんにお願いします。

 白川さん(写真同好会)
 ・銀行のロビーを使い写真展をしています。RC国際大会の写真を古いものから先の大会まで20点程展示してい  ます。

 赤坂さん(前年度出席担当)
・昨年度の平均出席率は84%でした。1年間100%出席者は浅利、阿保、岡村、白川、鈴木、寺山、芳賀、平川、米谷会員の9人です。

  「印象派展とは何か」鷹山ひばりさん

・今県立美術館は「光を描く印象派展・美術館が解いた謎」と言う展覧会を9日よりを開催しています。これはドイツにあるヴァルラフ・リヒャルツ美術館とケルン大学の共同で印象派の作品をX線や顕微鏡等を使い検証した作品70点を展示したものです。何故このような事をしたのでしょうか。西洋絵画の中でも印象派の絵は特異な地位に有り、何故発生したのかを根本的なところから検証したのです。その結果モネの一点は贋作と分かりましたが、それも展示してあります。・日本人の好きな印象派とは何か。印象派は革命に大きな影響を受けて発生しました。まず1760年代にイギリスで始まりヨーロッパに広がった産業革命でこれにより近代資本主義が確立しました。1789年7月14日起こった市民革命(フランス大革命)、最後には10年後ナポレオンが出てきてフランス大革命は終結しました。
・1872年オスカー・クロード・モネが描いた一枚の絵「印象・日の出」が有ります。ルアーブル港を描いた作品で、陽が昇り波に映ってキラキラ光っています。印象派はこの名前より取ったのです.1875年パリで若い作家達セザンヌ、ドガ、ピサロ、ルノアール、シスレー、モリゾー達が展覧会を開催しました。印象派展の旗揚げです。この展覧会は酷評を受けました。特にモネに対しては激しい攻撃の対象になりました。その理由はまず西洋絵画の歴史を見れば分かります。まずオリンポスの世界、宗教画、王族達の写実的な肖像画等二次元の写実画です。評論家はもとより市民もこのような絵はこれまでの絵と全く違うので受け入れられなかったのです。しかも家の中でしか描けなかったのです。ところが産業革命で画期的な物が発明されました。絵の具のチューブ、絵筆の改良です。そのため外で描けるようになったのです。1789年から100年経ち市民が主役になりました。睡蓮の美しさ、サロンに着飾った婦人達は市民の分る光景でした。自分の日常生活を描いた作品は分かりやすく美しい。市民の指名を受けた(印象派の)作家も増え、才能を伸ばしてゆきました。
・大きな影響を与えたのはジャポネスクでした。特に日本の浮世絵でした。浮世絵の失敗作は焼き物を送る際に詰め物として使われ、浮世絵は庶民を描いた作品でしたので興味を持たれました。モネは特に大好きで、浮世絵を家に飾り庭も日本風にしました。印象派の音楽では、ドビッシーが「海」のレコードのジャケットに北斎の波裏を使いました。(ルノアールのエピソードは割愛)印象派の代表はモネですが、画面に明るさ、光を追求した画家です。従来陰影による作品が多く、フェルメールは代表する画家ですが、光の陰による美しさ、立体感を出しました。モネは陰を否定したのです。又絵の具を混ぜていません。モネを真似したマネのアスパラガスの紫は色彩分割と言う方法で出しており、瑞々しさが消え失せない手法です。モネは日本贔屓で知られていました。大正12年関東大震災に際し良く1924年1月4日〜18日被災者を支援するモネ展を開き、代金を日本に寄付したのです。東北大震災の後モネの作品が含まれるこの展覧会を開くのは感慨深いものです。
・この展覧会は私にとりミラクルでした。福島原発事故の後「チェルノブイリを忘れない」と言う(相手からの)返事に対し何度もの粘り強い交渉の結果ドイツのケルン市から持ってきた展覧会です。作品が届き、館長も見えました.この展覧会は日本の中で青森のみでやる展覧会です。私は多くの県民、特に若者に来ても来て貰いたい.美術館はこのような展覧会を何時又開催出来るか分かりません。
・私は幼児教育が専門で、美術界に入るつもりはなかったのです。父が二科会の理事をしておりましたが、会長の東郷青児さんが亡くなり自宅で理事会をしておりました。その内事務所を独立し、誰か世話をして欲しいとの事で事務長になりました。そして事務長を辞めた時鷹山宇一記念館が出来、七戸街から館長に招聘されたのです。特に美術館の仕事をしていると芸術家の生涯が分かります。人間には生まれた時選べないものが三つ有ります。男女、家の環境、生まれた時代は選べません。芸術家は生まれた時代に対し常に不条理を受けながら絵を描き、詩を書き、音楽を作ってきたのです。芸術とは絶望の種しか蒔かれていない大地に希望の花を咲かせる、それが芸術だと思っています。皆作家は困難の山を登ってきたのです。1枚1枚に隠されているその後ろの部分を見て頂ければありがたいと思っています。
 (アメリカの詩人、サミュエル・グルマンの詩「青春」を略させて頂きます)
 今日はお話をさせて頂き本当に有り難うございました。
カークスビルRI会長
第2830地区
小山内康博ガバナー
青森モーニングロータリー
クラブ会長 米谷恵司
  • 不易流行
 会報作成者:鈴木唯司