青森モーニングロータリークラブ 2011~2012年度 会報

創立1989年6月1日
会長     米谷 恵司
副会長    鈴木 唯司          例会場  青森国際ホテル  例会日  毎週金曜日 午前8時
幹事     工藤 一男          事務局  
〒030-0801 青森市新町1-6-18
副幹事    高橋 修一                         017-775-1821  FAX 777-9691
会報担当   阿保 康雄                        webmaster@aomori-mrc.org 
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平成23年10月28日(金) 第1062回例会

点鐘   米谷会長
ソング  手に手つないで

出席と誕生祝い

ゲスト  谷川ダンススクール主宰 谷川智栄子さん
ヴィジター(敬称略) なし

本日の出席率 22名中19名 86.36%
10月14日分確定出席率 22名中21名 95.45%

メーキャップ(敬称略) 10月28日 寺山きゑ(青森東)


誕生祝  米谷恵司さん(10月29日)

誕生日のコメント
・明日で満51才、正確には午後1時と両親から聞いております。あと半分は生きられないなと思いながらも、この先どういう人と、どういう風な生き方をして行くのかと考えることがあります。これから巡り会って接していく人は今後の人生においてかなり重要な位置を占める方が多いのではないかと思います。そしてそれは言うまでもなくこのモーニングロータリークラブではないかと思っております。あと30年くらいは仕事をしながら頑張って行きたいと思っておりますので皆様方のご鞭撻をお願いします。

ニコニコBOX

ニコニコBOX 18名 9,000円

<ニコニコのコメント> 
・ 谷川さん、早朝卓話ありがとうございます。米谷会長、お誕生日おめでとうございます。(全員)
・ 皆様に声をかけていただきありがとうございます。(小比類巻)

会長の時間

 口は一つで耳は2つです。皆さんなぜかご存知でしょうか。外国の格言ですが「話した分の2倍聞きなさい」ということだそうです。人の話をよく聞くということは非常に大事だということです。30年前に日本マクドナルドの現会長(当時社長)の所に佐賀県出身の高校生が訪問に来たそうです。6日間毎日訪問に来て断られ、7日目にようやく会うだけは会ってみようということで会えたそうです。それが現ソフトバンク社長の孫正義さんだそうです。何を相談に行ったかというと「高校を中退してアメリカに留学したいのですがどう思いますか。その場合どんなことをやればいいですか。今後何が流行るのでしょう」」と言うものだったそうです。それがきっかけでアメリカに行って現在の孫正義さんがあるということだそうです。それから本田宗一郎さんもよく人の話を聞いたそうです。「日々新たなり」という座右の銘を持っていたそうで、社員の話もよく聞いたそうです。謙虚さと向上心が大事だと思っております。最後に交通標語です。飲酒運転は一発で免許取り消しです。酒気帯び運転も最近は厳しくて免停もしくは取り消しです。飲みすぎた次の日の運転は控えましょう。

幹事報告

・ 地区より、ロータリーレートのお知らせ。
11月は1ドル=78円(変更なし)
・ 川口モーニングRCより会報。
・ 青森青年会議所より、創立60周年記念式典参加のお礼状。

その他

クラブ管理運営委員会(鈴木委員長)
・11月の担当をお知らせします。受付は入会早々で恐縮ですが小比類巻さんにお願いします。出席・ニコニコBOXは平川さん、会報の記録は古賀さんにお願いします。
ゴルフ愛好会(平川愛好会幹事)
・明日3クラブ合同ゴルフコンペのリベンジ会を開催する予定でしたが中央とモーニングの参加率が悪かったため中止になりました。

 卓話 「社交ダンスの移り変わり」 谷川ダンススクール主宰 谷川智栄子さん


 
・只今ご紹介にあずかりました谷川です。はじめに9月に岡村さん宅のファイヤーサイドミーティングに参加させていただきありがとうございました。素敵な雰囲気で楽しい経験をさせていただきありがとうございました。
・私は古川でダンススクールを開いておりまして、谷川ダンススクールは今年で58年目になり、県内で最も古いスクールです。私はプロになってちょうど30年になります。去年、道の駅「ゆーさ浅虫」や問屋町「はまなす会館」で団体講習を行なったり、青森コンピュータカレッジで学生さんに社交ダンスを教えたりしました。
・社交ダンスの発祥はイギリスです。日本では明治時代に文明開化のころ鹿鳴館など上流階級のひとの社交の場として踊られ、広く一般に親しまれるようになったのは第二次世界大戦後です。今日では映画やテレビ番組などメディアで社交ダンスを取り上げる機会も増えて子供からお年寄りまで幅広い層に注目を集めています。
・社交ダンスの種類は大きくはスタンダード(ブルース、ワルツ、タンゴ、スローフォックストローク、クイックステップ、べニーズワルツ)とラテンアメリカ(スクエアルンバ、ジルバ、キューバンルンバ、チャチャチャ、パソドブレ、ジャイブ、サンバ、マンボ)に分れます。ブルース、スクエアルンバ、ジルバ、マンボ以外が競技会正式種目になります。ちなみに社交ダンスを英語にすると「ソシアルダンス(social dance)」とよくいわれますが、「「ボールルームダンス(ballroom dance)」というのが正しい名称です。
・さて鹿鳴館時代に踊られたダンスは華族や官僚の中で踊られるもので一時的に流行るものの政策転換によって姿を消します。大正時代になって東京、大阪など大都市にダンスホールが誕生しバンドやレコードに合わせて踊るボールルームダンスが復活しブームになりました。ただ、教える人は日本に来た外国人か留学から帰国した人たちで職業としては成り立っていませんでした。しかも、男性が入場料と引き換えに職業女性と踊る不健康なものと見なされ、風俗営業の対象でしたので未成年者や学生の入場が禁止された時代でした。昭和に入ってダンスの相次いで社交ダンスの入門書が出版され、昭和5年に日本舞踏教師協会が設立され、昭和8年に日本で初めてイギリス人がデモンストレーションを行い、ブックダンスから実演のイングリッシュダンスに前進しました。第二次世界大戦後の昭和25~35年にかけて学生層の間で大ブームになりました。ホール中心のダンスではなく自主的にパーティーを開催したりして公開の営みに変遷してきました。その結果ボールルームダンスは健全な営みと見なされるようになり市民社会に根ざした生活文化となる貴重な契機になりました。昭和27年に学生中心の競技会が開催され、競技化の進展に伴い社交ダンスは健全なスポーツとして社会的認識を得るようになります。その結果NKH教育放送の市民講座で「レッツダンス」という番組が放送されてホールダンスは健全な趣味としての社会的認知を確立しました。

 
・1984年NHKの教育テレビ番組の市民講座で「レッツダンス」が初めて放映されました。その時の講師が篠田学先生と言います。先代である谷川ダンススクールの創立者・谷川正の息子の谷川一がが東京の篠田学先生の教室におりまして、ちょうどここ青森国際ホテルさんの「萬葉の間」で行われた谷川ダンススクール35周年記念パーティーに篠田学先生をゲストにお呼びしました。するとパーティー券はまたたく間に完売して、更に問い合わせが殺到して「立ち見でもいいので売って下さい」というほど大人気でした。
・平成10年に風営法の一部が改正され、一定の資格を持つダンス教師が教授するダンス教室については風営法から除外されました。現在、青森県では正規のダンス教師資格を持つ人が110名ほどいます。教室の数は県内で40軒ほどあります。青森市内は13教室あります。私どもの教室も風営法から除外されておりまして、今では小学生から中高生もダンスの技術検定や競技会などに出て活躍しています。今では競技会はスポーツダンス競技大会という名称になっています。

・藤井会員とスクウェアルンバ、細井会員とジルバを実演しました。
カークスビルRI会長
第2830地区
小山内康博ガバナー
青森モーニングロータリー
クラブ会長 米谷恵司
  • 不易流行
 会報作成者:阿保 康雄