青森モーニングロータリークラブ 2013~2014年度 会報

創立1989年6月1日
会長     鈴木 唯司
副会長    阿保 康雄          例会場  青森国際ホテル  例会日  毎週金曜日 午前8時
幹事     清野  覚          事務局  
〒030-0801 青森市新町1-6-18
副幹事    山道 清貞                         017-775-1821  FAX 777-9691
会報担当   阿保 康雄                        webmaster@aomori-mrc.org 
本文へジャンプ
www.aomori-mrc.org
平成25年7月19日(金) 第1143回例会

点鐘   鈴木会長
RIテーマの唱和
ソング  それでこそロータリー

出席と誕生祝い

ゲスト 青森県津軽裂織伝統工芸士 村上あさ子 さん
オブザーバー なし
ヴィジター(敬称略) なし

本日の出席率 23名中17名 73.91%
7月5日分確定出席率 23名中21名 91.30%

メーキャップ(敬称略) 7月17日 葛西義明(青森北東)

誕生祝  高橋修一さん(7月19日生)
  

     

ニコニコBOX

ニコニコBOX 17名 9,500円

<ニコニコのコメント>
・ 村上さん、早朝卓話ありがとうございます。高橋さん、誕生日おめでとうございます。(全員)
・ ゴルフ愛好会より。

会長の時間 : 鈴木会長

幹事報告 : 清野幹事

・ 札幌モーニングRCより、会報。

・ ロータリー米山記念奨学会より、ニュースレター「ハイライトよねやま」。(回覧)

・ 地区より、「米山記念奨学委員会」「青少年交換委員会」「ローターアクト委員会」3委員会合同セミナー開催のご案内。
日程 8月31日(土)~9月1日(日)
場所 カワヨグリーンロッヂ(おいらせ町)
登録料 5000円(宿泊は別途5000円)
対象者 会長、幹事、米山・新世代・青少年の各担当者
    興味のあるロータリアン
※回覧用紙に記入してお申込ください。

・ 地区より、ガバナー公式訪問のお礼状とバートンRI会長の国際大会での講演要旨。

その他
.●クラブ管理運営委員会 阿保副委員長(会報担当)
・来週の納涼例会の前に30分時間を頂きましてPM6:00から会報研修会を行います。
●ゴルフ愛好会 新岡愛好会幹事
・8月24日(土)ゴルフ愛好会第5回コンペを行います。青森カントリークラブで9:22スタート。8:50までに集合下さい。ゴルフ参加費は3千円です。また、表彰式は本町みやまビル2F「駒鯉」にてPM5:30から行います。ゴルフをやらない人も大歓迎です。こちらの会費は4千円となっております。皆さん奮ってご参加下さい。

 卓話 「青森県の伝統工芸・津軽裂き織-“未来につなげるために”」 青森県津軽裂織伝統工芸士 村上あさ子 さん

津軽裂き織という織物を織っています。村上あさ子でございます。
今日はお話させていただく機会をいただきありがとうぞざいます。30分という
長い時間お話させていただくのは初めてなので、よろしくお願いいたします。
皆さんは裂き織という織物を御存知でしょうか?ここにありますバッグやベスト
に使われている布が裂き織です。裂き織は柄の布が細く裂かれ重なり合う
ことで色が混ざり合い新たな美しさが生まれます。素材の力と織る人の技術
に偶然性が加わり思いがけない模様ができる。それが裂き織の魅力です。
 津軽では裂き織をさぐりといい、江戸時代北前船の寄港地だった鯵ヶ沢や平舘、蓬田などの津軽半島で、漁師たちの仕事着として作られました。普通布は、経糸と横糸の糸だけで織られますが、裂き織は、布を裂いて横糸にします。そのため、厚く保温性のある織物となります。また、津軽の裂き織は仕事着として作られているため、薄くて軽くて動きやすい布に仕上げられています。これが昔の裂き織です。でも、大正時代にゴムのカッパができるとだんだん着る人がいなくなり、織る人も少なくなりましたが、孫のジャンバーや嫁入り支度の一つとして作られ、戦後も織継がれてきました。しかし、私が織物を始めた昭和53年頃津軽で裂き織を作っている人がいたかどうか、わかりません。私は青森に裂き織という織物があったことさえ知りませんでした。
 私は東京の専門学校で織物の基礎を勉強し、紬の着物を織りたいと思っていました。そして青森に帰って、アルバイトで務めたオレンジ工芸というお店で初めて裂き織という織物があることを知りました。そして、郷土館で展示されている裂き織の仕事着を見たときは、ビロードのような織物で素朴だけど味わいのある織物だと感激しました。なにせ、青森には織物の産業はないし、戦後生まれの私の周りには機織りをしている人はいなかったので、江戸時代までは皆機織りしていたことをすっかり忘れていました。それから私は、何度か裂き織の古い布を見せてもらい、作り方を研究し、佐渡で裂き織を習った人から佐渡の裂き織を習い、裂き織を作り始めました。オレンジ工芸の社長さんや奥さんに民芸ということを教えてもらい、お客様や色々な先生方にモノを作るとはどんなことかなど色々教えていただきました。
 でも私が裂き織を織り始めた昭和53年頃は、実際に裂き織を知っている年配の方もまだたくさんおり、裂き織のイメージはあまりいいものではありませんでした。20代の私には初めて見る素敵な布だったのですが、ぼろ織と呼ばれ、蔑まれていました。昔は貧しくて新しい着物が買えないので古い着物や端切れを何人かで買い分けて織ったことなどからぼろ織といわれ貧しさの象徴のようなイメージが強かったのだと思います。でも、裂き織は日本中、世界中にあり、布を最後まで使いたいという知恵から生まれた織物です。
 布を作ることは大変時間のかかる仕事です。縄文時代から植物から繊維を取り、糸にして織られた布は、とても貴重で代々受け継がれる大切な財産だったのではないでしょうか。そして、縄文時代だけではなく、つい最近まで、着物を受け継がれる物でした。ただ残念なことに近頃は着物を着ることもあまり無く、着物はタンスの肥やしとなりました。
 そして、ここ10年くらいで裂き織を知らない世代や親から着物を引き継いだ世代が裂き織を見直し始め、裂き織のイメージがだいぶ変わりました。リサイクルが見直され、新しい織物の一ジャンルとして捉えられるようになりました。
 もちろん、裂き織を織る人も増え、青森県内では趣味の人から仕事としている人まで数百人はいると思います。
 そして、私たち裂き織をする者にとって嬉しかったことは、2005年に青森県の伝統工芸として指定されたことです。このことは、自分の作っている物がぼろ織ではなく「津軽裂織」という名前で呼ばれ、きちんとした技法で工芸として認められたということだと思います。でも、皆さんの中には南部にも裂き織があってあっちはもうだいぶ前から伝統工芸になっているし、だいいち、南部裂き織と津軽裂き織はどこが違うのか、と思われた方もいると思います。いつも聞かれるのが「同じ裂き織でどご違うのさ」という質問です。どこが違うのかといえば、技法の違いです。南部の裂き織は主にコタツ賭けとして使われたので、厚くて重くて保温性があるように作られ、着る物として作られる津軽の裂き織は薄くて軽く動きやすいように作られていることです。でも今は、伝統もその時代に合わせて変わっていかなければ残っていけないので、どちらもそんなに変わりません。ただ一つ違うのは、私たちは津軽で裂き織を織っているのであり、南部ではないということです。
 たぶん南部の人たちもそう思っていると思います。ではどんな風に進化したのか、まず、津軽の裂き織は畝織という技法で作られている物がほとんどでした。ただ、昔の裂き織は、経糸を紺屋で染めてもらうので、濃い紺色に染めるのが上等で染め代も高かったのだと思います。表が紺色に浦が白いままの、今で言うとリバーシブルに仕上げられています。
 昔は経済的にするためにそうしていましたが、今はリバーシブルであることを売りにし、ジャケットなどを作っています。また、江戸時代は化学染料が無く、藍染が普通でしたが、今では、草木染や藍染の方が貴重なので、経糸だけではなく横の裂き布
を草木染や藍染にしています。また裂き布も木綿だったのですが、用途によってシルクの着物地を使い、より軽く薄い織物に仕上げています。ここまでは進化したというより原点に戻ったのかも知れません。それから、ループ織りや浮き織りなど飛び出す技法を取り入れ立体的になるようにした物を作っています。また、一番変わったのはアイテムで、昔は仕事着か帯だったのですが、今は洋服はもちろんバッグや帽子、アクセサリー・タペストリーやクッションなどのインテリア用品、コースター、鍋掴みなどたくさんの種類を作っています。一つ一つ手作りで丁寧に質の高い物を作りたいと思っています。
 また、今年は2月10日から3月17日まで国際芸術センター青森で「村上あさ子裂き織展 内包する力」という展覧会を開催していただきました。この展覧会は裂き織という技法を使いアートを作るという仕事を初めて評価していただいた気がして
ありがたいなと思っています。
 展覧会では裂き織をコラージュした平面作品や、長さ2~3メートルの裂き布を吊り下げた大きなインスタレーションにしました。この作品に使った裂き布は経糸に紺と白の2色の糸を使い、片方が紺色の面、もう片方が白い面がでるリバーシブルで
織り、表と裏の色合いが微妙に違っていたり、見る角度により経糸の色味が強く出たりする布の様々な表情を見てもらいました。また、横の裂き布には、芸術センターの森で採取した木の葉や実で染めた古い着物地を裂いておりました。植物や生き物の内に込められた力から発想して制作したので見ていただいた方から、森の中に居る様な森の木に包まれる様な感じがする、と言ってもらえたのがとても嬉しかったです。また、サクリガードというメッセージカードを使った作品は来館者の方に好きな物を選んでいただき、友人や少し先の自分に向けてメッセージを書いて送る、という仕組みにしました。これは植物の種が色々なところに飛んで行くようにサクリカードも裂き織の種として色々な所へ飛んで行って欲しいという願いを込めました。伝統工芸を現代人の視点で捉え直し、新しい物語を紡いでいき、用途が変化したとしてもその時代にそう表現や作品の形を探求
することが、伝統を受け継ぎ活かしていくということに繋がるのではないか。そしていま、伝統工芸を受け継ぐ後継者がいない時代です。裂き織も若手の若手の後継者はいませんが、60代の後継者はたくさんいます。楽しく活き活きと制作しています。あの葉っぱを売って仕事を作り出し、70代や80代のおばあちゃんたちが活き活きと働くことにより若者が村に戻ってきた上勝町のように私たちが楽しく活き活きと裂き織を織ることで若い人たちが裂き織に興味をもってくれるようにがんばりたいと思います。
 今日はありがとうございました。

 会報作成者:土橋 伸行